旧坂越浦会所&大避神社 兵庫 [瀬戸内海 海の道ゆっくり散歩・完歩]
赤穂の隣にある「坂越(さこし)」は、今は牡蠣が有名ですが、海の宿場として栄えた所
です。その面影を残す町並を散歩してみました。
駅からだと、千種川を越えて旧市街へ入って行きます。
ここには田端街道という道が走っていたようで、高瀬舟の船着き場跡がありました。
坂越の町並です。
木戸門の跡。
昨日飲んだ「忠臣蔵」を造っている奥藤商事さん。創業慶長6年です。
旧坂越浦会所では、係の方が説明してくれます。
ここにもたくさん赤穂段通が…。
お殿様がやって来て海を見た、観海楼というお部屋。
その見た景色は、これです。向こうに見えるのは生島(いくしま)。
秦河勝のお墓があり、船祭りという行事があります。
船祭りのポスターです。
隣には一段低いお部屋があり…、
ここはお殿様が昼寝をした部屋らしいです。
海へ出てみました。とうろん台といって、気象情報を船舶に教える施設。
小倉御前の碑。小倉御前とは南北朝時代の皇子で、追っ手を逃れてここに隠れ、でも見つ
かって海に身を投げたそうです。
鄙びた港を想像していたのですが、護岸工事がきれいにされていて、ちょっとがっかりw。
振り向くと、会所の係の方が「一押し」と勧めていた大避神社がありました。
「おおさけ」と読みます。聖徳太子に登用された渡来人、秦河勝が、蘇我入鹿に殺されそ
うになってこの地に逃げ、その後暮らしたと伝えられていて、その名がついています。
どうも、ここ逃げて来る場所みたいですね。小倉御前も、この故事に従ったのかなぁ。
もっと上から見た方が景色はよさそうですが、しんどかったのでここで断念。
川を渡って、駅の方へ帰りました。
坂越→
です。その面影を残す町並を散歩してみました。
駅からだと、千種川を越えて旧市街へ入って行きます。
ここには田端街道という道が走っていたようで、高瀬舟の船着き場跡がありました。
坂越の町並です。
木戸門の跡。
昨日飲んだ「忠臣蔵」を造っている奥藤商事さん。創業慶長6年です。
旧坂越浦会所では、係の方が説明してくれます。
ここにもたくさん赤穂段通が…。
お殿様がやって来て海を見た、観海楼というお部屋。
その見た景色は、これです。向こうに見えるのは生島(いくしま)。
秦河勝のお墓があり、船祭りという行事があります。
船祭りのポスターです。
隣には一段低いお部屋があり…、
ここはお殿様が昼寝をした部屋らしいです。
海へ出てみました。とうろん台といって、気象情報を船舶に教える施設。
小倉御前の碑。小倉御前とは南北朝時代の皇子で、追っ手を逃れてここに隠れ、でも見つ
かって海に身を投げたそうです。
鄙びた港を想像していたのですが、護岸工事がきれいにされていて、ちょっとがっかりw。
振り向くと、会所の係の方が「一押し」と勧めていた大避神社がありました。
「おおさけ」と読みます。聖徳太子に登用された渡来人、秦河勝が、蘇我入鹿に殺されそ
うになってこの地に逃げ、その後暮らしたと伝えられていて、その名がついています。
どうも、ここ逃げて来る場所みたいですね。小倉御前も、この故事に従ったのかなぁ。
もっと上から見た方が景色はよさそうですが、しんどかったのでここで断念。
川を渡って、駅の方へ帰りました。
坂越→
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