牟礼→古間→柏原 9.5km [北国街道ゆっくり散歩・完歩]
半年以上ぶりの牟礼駅です。北国街道、今回はここからスタート。
季節柄、ツバメさんが子育て中。
飯綱のマンホールは、飯綱山とリンゴと桃。
十王坂。
坂の途中に十王さんがいるので、十王坂です。
お花が咲き乱れます。この地方の方は、お庭にお花をいっぱい植えて楽しんでいる
ようです。冬が長いからかなぁ。
金附場跡。牟礼は、佐渡で採れた金を江戸へ運ぶための中継地でした。
その説明がマンガで描かれています。
これもマンガシリーズ。小玉道中堺碑。武州(武蔵)と加州(加賀)の道中堺です。
加賀藩12代の藩主前田斉広が亡くなった後、正室の真龍院隆子が幕府から許されて
初めて金沢に戻る旅の途中で歌を詠んだ場所だそうです。
小玉坂にさしかかります。北国街道は、軽井沢の追分から基本的に日本海までずっ
と下って行く道なので、登りは少なく楽なのですが、坂を下り過ぎたため足を痛め、
この後数日下りがきつい状態になりました。
小玉一里塚跡。ここでは鎌鍛冶の黒柳清八のマンガがありました。
飯綱では「鎌鍛冶」が発達して、今でも需要があるそうです。そのお話は、明日に
続きます。
黒姫山が見えました。
信濃町富士里地区のマンホールは、黒姫山デザイン。
こちらは妙高山です。
子供の日前だったので、元気に泳ぐ鯉のぼり。大阪では、鯉のぼりを地面に立てる
ことはまずありません。土地が狭いもんなぁ…。
絶対に日陰から出ない…と決めたニャンコ。私たちが通っても、動じませんでした。
道端に、こういう感じの小さい仏様が、あちこちありました。
薪を使う生活なのですよね。
信濃町の一帯では、普通の民家に小林一茶のモニュメントが建てられています。
一茶、Loveです。雀の子…と、やせ蛙…の石像。
信濃町のマンホール、その2。一茶の「雀の子 そこのけそこのけお馬が通る」の句
と、黒姫山が描かれています。
古間一里塚跡。
古間宿に入って来ました。古間音頭という、盆踊りがあるそうです。
古間宿は、隣の柏原宿と2つで1つの宿場を形成していました。
一茶旧宅(弟の家)。
一茶の像。
そして古間を出ると、すぐ柏原宿です。本陣跡。
中村家住宅。古い鍛冶場を残す、茅葺屋根の古民家です。平成4年まで、中村夫妻
が手打ちで作業をしていました。
村の鍛治屋の歌。まさに古間は、鍛治屋の町、鎌鍛冶の町だったのですね。
ここにも、一茶の句碑。
柏原宿→
季節柄、ツバメさんが子育て中。
飯綱のマンホールは、飯綱山とリンゴと桃。
十王坂。
坂の途中に十王さんがいるので、十王坂です。
お花が咲き乱れます。この地方の方は、お庭にお花をいっぱい植えて楽しんでいる
ようです。冬が長いからかなぁ。
金附場跡。牟礼は、佐渡で採れた金を江戸へ運ぶための中継地でした。
その説明がマンガで描かれています。
これもマンガシリーズ。小玉道中堺碑。武州(武蔵)と加州(加賀)の道中堺です。
加賀藩12代の藩主前田斉広が亡くなった後、正室の真龍院隆子が幕府から許されて
初めて金沢に戻る旅の途中で歌を詠んだ場所だそうです。
小玉坂にさしかかります。北国街道は、軽井沢の追分から基本的に日本海までずっ
と下って行く道なので、登りは少なく楽なのですが、坂を下り過ぎたため足を痛め、
この後数日下りがきつい状態になりました。
小玉一里塚跡。ここでは鎌鍛冶の黒柳清八のマンガがありました。
飯綱では「鎌鍛冶」が発達して、今でも需要があるそうです。そのお話は、明日に
続きます。
黒姫山が見えました。
信濃町富士里地区のマンホールは、黒姫山デザイン。
こちらは妙高山です。
子供の日前だったので、元気に泳ぐ鯉のぼり。大阪では、鯉のぼりを地面に立てる
ことはまずありません。土地が狭いもんなぁ…。
絶対に日陰から出ない…と決めたニャンコ。私たちが通っても、動じませんでした。
道端に、こういう感じの小さい仏様が、あちこちありました。
薪を使う生活なのですよね。
信濃町の一帯では、普通の民家に小林一茶のモニュメントが建てられています。
一茶、Loveです。雀の子…と、やせ蛙…の石像。
信濃町のマンホール、その2。一茶の「雀の子 そこのけそこのけお馬が通る」の句
と、黒姫山が描かれています。
古間一里塚跡。
古間宿に入って来ました。古間音頭という、盆踊りがあるそうです。
古間宿は、隣の柏原宿と2つで1つの宿場を形成していました。
一茶旧宅(弟の家)。
一茶の像。
そして古間を出ると、すぐ柏原宿です。本陣跡。
中村家住宅。古い鍛冶場を残す、茅葺屋根の古民家です。平成4年まで、中村夫妻
が手打ちで作業をしていました。
村の鍛治屋の歌。まさに古間は、鍛治屋の町、鎌鍛冶の町だったのですね。
ここにも、一茶の句碑。
柏原宿→
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