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石見銀山 大久保間歩 島根 [日本あちこち]

石見銀山は、多くの間歩と呼ばれる坑道に分かれています。公開され一番有名なのが
龍源寺間歩ですが、私たちは敢えてここは外して、予約して行くガイドツアーの大久
保間歩に挑戦することにしました。挑戦…と書くのは、ここ、登りもきついし、なか
なかの登山道なのです。いつもの峠越えという感じですね。

石見銀山世界遺産センターで集合。現場に行ってから、リュックはダメで前に抱えて
下さいと言われました。わざわざリュックを持って来たのに…w。
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早めに遺産センターに着いていたのはラッキーで、駐車場もいっぱいになりましたし、
その後ゲリラ豪雨のようになって外に出ることはできませんでした。この時大森の町
でウロウロしていたら、大変なことになっていました。

このバスで、大久保間歩に向かいます。
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この方がガイドさん。ここは本谷口番所跡です。
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暑い中、登ります。雨が止んでいるのが、奇跡に近いです。
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金生坑。ここと大久保間歩は、つながっています。
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白いものは、坑道から出てくる冷気。ここだけクーラーの中のように涼しいです。
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大久保間歩に入ります。手前でゴム長とヘルメットを借りています。
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中は真っ暗、下は水だらけです。古い横板がありますが、それは踏まないように注意
されます。大久保間歩は石見で一番大きい間歩で、初代銀山奉行の大久保長安が、槍
を持って馬に乗って入ったといわれることからこの名前があります。
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上を見上げているのですが、掘り進んだ跡があちこちにありました。
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ツアーの全員、鉱夫さん状態です。
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石見銀山は銀が少なかったために、佐渡の金山や生野の銀山のように明治以降も取り
つくしてしまう…ということがありませんでした。謂わば捨てられてしまったために、
町も江戸時代のまま残り、鉱山も機械化されず守られたのです。
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一番奥の見学できる最大の空間。上下左右、ものすごく広い空間の掘り跡です。
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釜屋間歩。
慶長年間、備中出身の山師、安原伝兵衛により発見・発掘された坑道です。
伝兵衛は銀の採掘量が減ったのを憂いて、清水寺(せいすいじ)に祈願しました。
祈願すること七日目に「銀の釜」を賜る夢を見たそうで、その夢を大久保長安に申し
上げ、資金を得てこの間歩を発見したそうです。
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世界遺産センターに戻った頃は、ヘロヘロでした。アブに刺された方もあって、指定
されたように長袖長ズボンが安全だと思います。




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