SSブログ

大股→三浦口 15.7km [熊野街道小辺路ゆっくり散歩・完歩]

大股のバス停まで、ホテルのせ川の支配人さんに送ってもらいました。
次の宿泊先、三浦口の農家民宿山本の奥様を「やさしくて親切だ」と絶賛して
ました。ちょっと安心。小辺路は大股に2軒、三浦口に2軒しか宿泊先がないの
で、あぶれた方はテントや山小屋泊となり、36時間歩き通すという猛者もある
ようです。のせ川はまだ収容人数が多いですが、三浦口は両方民宿で多く泊ま
れません。前日も宿泊先がない方が続出し、年配のご夫婦は危険なのでタクシ
ーでスキップを勧めたそうです。これで欧米人がいたら、すごい事になってま
したね。欧米人は、野宿平気かな。
1.jpg

2.jpg

3.jpg

坂をグイグイ上がります。すごい斜度です。
4.jpg

5.jpg

6.jpg

そのため高度は、一気に上がります。昨日と打って変わってよいお天気。
7.jpg

萱小屋跡にある山小屋。
8.jpg

ペースの速い方は、大股を通り越してここで泊まります。
9.jpg

どんどん登って、桧峠に出ました。
11.jpg

1.jpg

この日の最高点、伯母子峠1,220m到着です。ここは、屋根のある施設はありま
せんでした。本当に、1日前でなくてよかった…。
2.jpg

のせ川さんのお弁当を食べます。
3.jpg

4.jpg

5.jpg

歩きにくいです。
6.jpg

11.jpg

旅籠 上西家跡に到着。ここも馬子たちで賑わった場所。
7.jpg

8.jpg

左に曲がって、山を登ります。
9.jpg

水ケ元茶屋跡。山姥が住んでいたらしいです。
10.jpg

12.jpg

待平(松平)。
13.jpg

道路に下りて来ました。
14.jpg

振り返ってパチリ。
15.jpg

三田谷橋。
16.jpg

腰抜田。南北朝の頃、五百瀬を通ろうとした大塔宮護良親王がそこの荘司に通行
妨害され、錦の御旗を渡してやっと許可されます。遅れて来た宮の家来の村上義
光は、怒って荘司の家来を投げ飛ばし御旗を奪い返します。その時家来が腰を抜
かしたので、その田を腰抜田と呼ぶそうです。明治の水害で、埋没してしまいま
した。
17.jpg

本当は三田谷橋で連絡すれば宿のお迎えがあったようですが、800m先の三浦口
のバス停まで歩き遅くなってしまいました。

100.jpg

三浦口→

nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0