田平教会&大野教会&出津教会 長崎 [日本あちこち]
この日は、長崎の教会巡りでした。
明治時代、ド・ロ神父らが私費で荒れ地を購入し、そこに8家族を九十九島の黒島
や西彼杵半島の長崎市外海地区などから移住させたのが、田平天主堂の信者の始ま
りです。
3つの中では最も大きく、ステンドグラスが新しい教会でした。
鉄川与助の設計施工で、特徴的な椿の花が壁に貼られています。
内部は投影禁止なので、ネットの紹介写真から。
ここには、ルルドがあります。ルルドとは、フランスのピレネー山脈の麓にあり、
1858年にマリアのお告げにより湧き出た泉のことです。
続いて、大野教会。ここは今回ボランティアの堂守の方がいない曜日だったので、
外側からだけ見学。駐車場から上がって行きます。
ここもド・ロ神父が設計して、私財を投じて建てた教会です。
素朴な感じですね。
屋根も一番日本的です。
最後に出津教会。まずド・ロ神父記念館へ。
ここはイワシ網工場として造られ、その後保育所となった建物です。
地下の貯蔵庫。
長崎に赴任したド・ロ神父は、この村が貧しいことに衝撃を受け、貴族として受け
継いだ財産を使って、女性が生計をたてることができるように、マカロニや素麺、
編物、醤油などの生産設備を造りました。
神父の遺品。
織物の道具。
授産所があったので、医療器具も本国から持って来ました。
こちらの建物は、旧出津救助院です。シスターが丁寧に説明して下さいます。
石垣の石はこの地域独特のもので、掘れば出てくるそうです。荒れ地なんですね。
ここが、出津教会。写真が上下に分かれましたが、この教会も質素です。
遠景。
いくらお仕事とはいえ、家族を捨てて貧乏な後進国へ来て、ここまで日本のために
尽くして下さるなんて、何だか感動してしまいました。いろいろな人に支えられて、
今の日本があるんですねぇ。
明治時代、ド・ロ神父らが私費で荒れ地を購入し、そこに8家族を九十九島の黒島
や西彼杵半島の長崎市外海地区などから移住させたのが、田平天主堂の信者の始ま
りです。
3つの中では最も大きく、ステンドグラスが新しい教会でした。
鉄川与助の設計施工で、特徴的な椿の花が壁に貼られています。
内部は投影禁止なので、ネットの紹介写真から。
ここには、ルルドがあります。ルルドとは、フランスのピレネー山脈の麓にあり、
1858年にマリアのお告げにより湧き出た泉のことです。
続いて、大野教会。ここは今回ボランティアの堂守の方がいない曜日だったので、
外側からだけ見学。駐車場から上がって行きます。
ここもド・ロ神父が設計して、私財を投じて建てた教会です。
素朴な感じですね。
屋根も一番日本的です。
最後に出津教会。まずド・ロ神父記念館へ。
ここはイワシ網工場として造られ、その後保育所となった建物です。
地下の貯蔵庫。
長崎に赴任したド・ロ神父は、この村が貧しいことに衝撃を受け、貴族として受け
継いだ財産を使って、女性が生計をたてることができるように、マカロニや素麺、
編物、醤油などの生産設備を造りました。
神父の遺品。
織物の道具。
授産所があったので、医療器具も本国から持って来ました。
こちらの建物は、旧出津救助院です。シスターが丁寧に説明して下さいます。
石垣の石はこの地域独特のもので、掘れば出てくるそうです。荒れ地なんですね。
ここが、出津教会。写真が上下に分かれましたが、この教会も質素です。
遠景。
いくらお仕事とはいえ、家族を捨てて貧乏な後進国へ来て、ここまで日本のために
尽くして下さるなんて、何だか感動してしまいました。いろいろな人に支えられて、
今の日本があるんですねぇ。
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