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(泉大津)→岸和田→貝塚 8.4km [紀州街道ゆっくり散歩]

紀州街道を、泉大津から歩いて来ました。前回の中央商店街からです。
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さすが毛織物の町です。
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工場の中に、神社がありました。
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大津川を渡ります。紀州街道ですので、紀州藩の大名行列ですね。
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なぜか日本地図。
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忠岡町のマンホール。
忠岡は泉北郡に唯一属する「町」で、日本で1番面積の小さい町です。
市町村まで含めると、日本で3番目に小さいです。
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なのですぐ、岸和田に入ります。
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だんじりの本場なので、倉庫があります。
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弥栄神社。
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熊野街道を歩いた時はもう少し内陸を通っているのですが、古いお家は
紀州街道沿いの方が残っていますね。
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永守橋には、だんじりが描かれています。
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埋もれてしまった橋。レンガ塀がありました。
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近所のお兄さん方が集まって、だんじりを出していました。
点検作業でしょうか。
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旧和泉銀行本店。
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欄干橋。岸和田城下の中心街。
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旧四十三銀行岸和田支店。
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お城に近いので、道の曲がりが厳しいです。
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五十一銀行の建物は解体され、岸和田自然資料館になっています。
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岸和田城が、チラッと見えました。
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古い町並が続き、そのほとんどが今も実際に住んでいらっしゃるお家ばかり。
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その中に、だんじり小屋があります。
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たこ地蔵。
天正12(1584)年、徳川家康と織田信雄の連合軍を討つべく羽柴秀吉が大坂を
出陣します。岸和田城は秀吉の軍勢が守っていましたが、圧倒的な徳川方の紀州
勢の前に苦戦。するとどこからか大きな法師が現れて鉄の錫杖を振り回して敵を
なぎ倒していきます。さらに幾千幾万とも知れない蛸たちが墨を吹きかけて、と
うとう敵を追い払ってしまいました。実はこの大法師は岸和田の守り神のような
お地蔵様で、長い間城の堀に沈んでいたものだったことが分かりお祀りすること
になったそうです。
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川を渡ると、貝塚市です。
テラボウという会社の古い倉庫。この一帯は、紡績関係が多いですね。
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「忠臣捕鳥部萬(ととりべのよろず)の墓所 犬塚」とあります。
誰? 物部守屋に仕えていた武士と言いますから、飛鳥時代ですね。古い!
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太鼓蔵があります。
貝塚にもだんじりが10月にありますが、7月にも太鼓台祭りというのがあって、
その倉庫です。
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貝塚宮太鼓台ばやし。
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小学校に、看板がありました。もとは願泉寺の境内で、ト半役所という役所が置
かれていたそうです。
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貝塚宿→

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