矢橋→赤崎→下市→御来屋→(名和) 20.0km&名和神社 [山陰道ゆっくり散歩]
八橋駅からスタートです。ここまで来るのに、名和から電車で20分ぐら
いなのに、50分かかりました。次の御来屋で18分、下市で12分と連絡
待ちをするのです。恐るべし、山陰線単線。皆さん、辛抱強いなぁ…。
八橋駅。
駅から歩いて、ここから本番です。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛のお話です。
このあたりが、高田屋嘉兵衛のお店があった場所だそうです。
八橋城搦手口跡。
諏訪神社。
お天気菩薩。
わかりにくいのですが、洗濯物じゃなくてワカメが干してあります。
赤碕港。
?このモアイ像のようなものは、何でしょう?
菊港・波しぐれ三度笠というものです。
菊港というのはこの港の呼び名で、大火で鳥取藩の藩邸が焼失した時、
赤崎の河本長兵衛が江戸から材木をここに運んで来たそうです。長兵衛
の妻は松江城主の孫娘で菊姫と呼ばれていました。なのでここは、菊港
と言い習わしたそうです。
このモニュメントは、彫刻家の方が造られたそうです。今時「三度笠」
というのもどうかと思いますが、皆さん遊びに来ていました。
塩谷定好写真記念館。
変わったお店が多いです。
何屋さんかわかりませんが、ちくわ屋さん? 入りにくい…。
独特な感性を持った赤碕でした。
河本家住宅。菊港に材木を運んで来た河本さんでしょうか。
所子と同じ、豪農造りですね。注連縄が張ってあります。
堆肥を造っていました。なかなかの臭い…。
牛さん。
旧中山町のマンホールは、「まちを美しく」。
字入りのマンホールは珍しいです。
ここも、防火には余念がありません。
これも所子の「サイノカミ」に似た感じです。
一里松のお地蔵様。
元医院をカフェにしたお店。
木ノ根神社。
ここで道が行き止まってしまって、グルッと迂回しました。
赤い道が私たちが歩いた道、緑の道が本当の街道。
これは迂回路です。
どうやらこの向こうから出てくる道があったようですが今はありません。
また「サイノカミ」?。
大山をデザインした大山町のマンホール。
大山がきれいに見えます。
大山町名和地区のマンホール。
御来屋の宿場です。
塩谷糀味噌。
後醍醐天皇が船で着いた場所。
御腰掛の岩入口。
本日の街道歩きは、ここで終了。
名和駅。
名和神社。名和長年は、隠岐の島に流されていた後醍醐天皇を脱出させ
鎌倉軍を船上山で打ち破った忠臣です。鎌倉幕府は倒れ建武の新政が行
われ、名和氏は重用されました。
船の模様がありますね。
菊の御紋。
ここからまっすぐ海を越えて行くと、隠岐の行在所があります。
(名和)→
いなのに、50分かかりました。次の御来屋で18分、下市で12分と連絡
待ちをするのです。恐るべし、山陰線単線。皆さん、辛抱強いなぁ…。
八橋駅。
駅から歩いて、ここから本番です。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛のお話です。
このあたりが、高田屋嘉兵衛のお店があった場所だそうです。
八橋城搦手口跡。
諏訪神社。
お天気菩薩。
わかりにくいのですが、洗濯物じゃなくてワカメが干してあります。
赤碕港。
?このモアイ像のようなものは、何でしょう?
菊港・波しぐれ三度笠というものです。
菊港というのはこの港の呼び名で、大火で鳥取藩の藩邸が焼失した時、
赤崎の河本長兵衛が江戸から材木をここに運んで来たそうです。長兵衛
の妻は松江城主の孫娘で菊姫と呼ばれていました。なのでここは、菊港
と言い習わしたそうです。
このモニュメントは、彫刻家の方が造られたそうです。今時「三度笠」
というのもどうかと思いますが、皆さん遊びに来ていました。
塩谷定好写真記念館。
変わったお店が多いです。
何屋さんかわかりませんが、ちくわ屋さん? 入りにくい…。
独特な感性を持った赤碕でした。
河本家住宅。菊港に材木を運んで来た河本さんでしょうか。
所子と同じ、豪農造りですね。注連縄が張ってあります。
堆肥を造っていました。なかなかの臭い…。
牛さん。
旧中山町のマンホールは、「まちを美しく」。
字入りのマンホールは珍しいです。
ここも、防火には余念がありません。
これも所子の「サイノカミ」に似た感じです。
一里松のお地蔵様。
元医院をカフェにしたお店。
木ノ根神社。
ここで道が行き止まってしまって、グルッと迂回しました。
赤い道が私たちが歩いた道、緑の道が本当の街道。
これは迂回路です。
どうやらこの向こうから出てくる道があったようですが今はありません。
また「サイノカミ」?。
大山をデザインした大山町のマンホール。
大山がきれいに見えます。
大山町名和地区のマンホール。
御来屋の宿場です。
塩谷糀味噌。
後醍醐天皇が船で着いた場所。
御腰掛の岩入口。
本日の街道歩きは、ここで終了。
名和駅。
名和神社。名和長年は、隠岐の島に流されていた後醍醐天皇を脱出させ
鎌倉軍を船上山で打ち破った忠臣です。鎌倉幕府は倒れ建武の新政が行
われ、名和氏は重用されました。
船の模様がありますね。
菊の御紋。
ここからまっすぐ海を越えて行くと、隠岐の行在所があります。
(名和)→
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