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松代 長野 [日本あちこち]

善光寺までは歩くことができたので、翌日はちょっとはずれた、松代&須坂のあたり
をブラブラしました。まず松代。松代は、真田家の居城があった場所です。

松代城趾です。
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展望台から。
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文武学校。少しだけ修理中でした。
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松代藩は教育熱心で、藩士の文武両道を目指してこの学校を建てました。
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弓道場。
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剣道場。
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白井家表門。
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真田邸。城内は狭いので、藩主の新しい御殿です。
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廊下でお庭を眺めます。ホッとしますね。
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真田宝物館。真田は結局明治時代まで家を存続しますが、途中になると藩主に子供が
なくて養子をもらったり、徳川家の血も混じり、直系はいなくなりました。
昌幸や幸村は、それでもやっぱり家の存続は喜んだのでしょうか。
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圧巻だったのは、象山(ぞうざん)地下壕です。最初、佐久間象山の関係かなぁ…と
思っていたら、象山というのは山(または寺)の名前で、佐久間象山もそこから名前
を取ったのでした。
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この壕は、旧日本軍が戦争末期まで掘り続けた地下壕です。近隣の山も含めて、天皇
ご一家、大本営などを本土決戦に備えて移動するためのものでした。たくさんの朝鮮
人労働者によって掘られたもので、すごい規模です。
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壕内は夏冬変わらず15℃程度なので、ムチャクチャ涼しいです。最後の方は、寒くな
ってしまいました。
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軍部は本気で本土決戦、遷都を考えていたようで、別の山にある天皇皇后のお部屋は
とても豪華だそうです。この壕の建設のために沖縄戦をなるべく長引かせたらしく、
もう狂気の沙汰としか思えませんね。移動のための装甲車も造られていて、非常事態
なので国民が前にいても轢き殺してよいという内示もあったそうです。

目的が「国体護持」なので、国民は数に入っていないのが恐ろしいですね。国民もい
なくて、どうやって国を維持していくのか…。

横穴の1つです。
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聞いたことはありましたが、実際に見ると衝撃を受けました。
広島や沖縄の悲劇の施設見学も大切ですが、戦争を続けた方の頭の中を見ることがで
きる施設見学も必要です。




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コメント 2

あとりえSAKANA

【軍部は本気で本土決戦、
遷都を考えていたようで】
【国民は数に入っていない】

戦争と言うのは狂気の塊だとは
思っていますが、そんな人たちが
国を動かして、自分たちの事しか
考えず、国民は置いてけぼり。
今の世の中も全く変わっていない
気がしてなりません(-_-;)
by あとりえSAKANA (2014-09-10 18:36) 

robert

象山地下壕驚きました。
あんなものを軍部は作っていたのですね。
by robert (2014-09-10 22:54) 

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