(紀伊宮原)→糸我→逆川→(湯浅) 7.7km [熊野街道中辺路ゆっくり散歩・完歩]
朝自宅を出て、午前中に和歌山に着きました。紀伊宮原駅です。
有田川を渡ります。鮎がいるだけあって、きれいな川でした。
ちなみに、九州の有田と違って、ここは「ありだ」です。
中将姫ゆかりの寺、中将姫寺(得生寺)。
いろいろな伝説がある中将姫ですが、得生寺バージョンでは、13才で継母によって糸我に
捨てられた姫が、ここで3年の間に1000巻のお経を書写したと伝えられています。
糸我村の一里塚。
糸我稲荷神社。
楠の大木。
隣にある「くまの古道歴史民俗資料館」。
糸我峠の茶屋の図。みかんをストックして、暑い時に茶屋で出して喜ばれたそうです。
爪かき地蔵。お堂の中で見えなかったものです。
藤原定家の熊野詣の記録。彼は街道を行く過程で、かなりへばっています。
糸我王子。
みかんの花が散り、小さな実が生っていました。
このモノレールが動くのを、初めて見ました。
あまりにジロジロ見るので、おじいちゃんに「なんか用事?」と言われました。
すいません、動くのが珍しくて。結構高速で動きます。
糸我峠は、途中までみかん畑の中の舗装道、後は整備された遊歩道でした。
峠到着。地元の方が描いた、峠の茶屋の様子。
「くまの古道歴史民俗資料館」で見た、みかんを振る舞っていたお店です。
峠から、湯浅方面を望みます。
夜泣き松。
平清盛一行の連れていた子供が夜泣きをするので困っていると、地元の人に「この地の大
きな松の皮を燃やして煙を吸わせれば治る」と教えられ、夜泣きが治ったそうです。
でも松はありません(汗)。
行者石。
昭和になって、逆川の中から出て来た石。道中の安全を祈願した石らしいです。
逆川神社の中にある、逆川王子。
逆川神社は、瓦などが落ちそうですね。
逆川。
一度東に流れて山田川に合流し、また南に流れて湯浅湾に入るため逆川と呼ばれます。
弘法の井戸。
方津戸峠にある説明板。
このあたりは全部舗装道ですが、中にはこういう道もあります。
湯浅スポーツセンターの奥にある「一里松」跡。
ユニークなお風呂屋さん。
湯浅の町の中、古いですねぇ。
この薬局は、開店してるのかな。
「すぐ(まっすぐの意)熊野道」「きみゐでら」裏には「いせかううや(伊勢高野)道」
と書かれた道標。
堀田茶屋跡の立石茶屋。
湯浅駅前近くで、終了です。
湯浅駅。
(湯浅)→
有田川を渡ります。鮎がいるだけあって、きれいな川でした。
ちなみに、九州の有田と違って、ここは「ありだ」です。
中将姫ゆかりの寺、中将姫寺(得生寺)。
いろいろな伝説がある中将姫ですが、得生寺バージョンでは、13才で継母によって糸我に
捨てられた姫が、ここで3年の間に1000巻のお経を書写したと伝えられています。
糸我村の一里塚。
糸我稲荷神社。
楠の大木。
隣にある「くまの古道歴史民俗資料館」。
糸我峠の茶屋の図。みかんをストックして、暑い時に茶屋で出して喜ばれたそうです。
爪かき地蔵。お堂の中で見えなかったものです。
藤原定家の熊野詣の記録。彼は街道を行く過程で、かなりへばっています。
糸我王子。
みかんの花が散り、小さな実が生っていました。
このモノレールが動くのを、初めて見ました。
あまりにジロジロ見るので、おじいちゃんに「なんか用事?」と言われました。
すいません、動くのが珍しくて。結構高速で動きます。
糸我峠は、途中までみかん畑の中の舗装道、後は整備された遊歩道でした。
峠到着。地元の方が描いた、峠の茶屋の様子。
「くまの古道歴史民俗資料館」で見た、みかんを振る舞っていたお店です。
峠から、湯浅方面を望みます。
夜泣き松。
平清盛一行の連れていた子供が夜泣きをするので困っていると、地元の人に「この地の大
きな松の皮を燃やして煙を吸わせれば治る」と教えられ、夜泣きが治ったそうです。
でも松はありません(汗)。
行者石。
昭和になって、逆川の中から出て来た石。道中の安全を祈願した石らしいです。
逆川神社の中にある、逆川王子。
逆川神社は、瓦などが落ちそうですね。
逆川。
一度東に流れて山田川に合流し、また南に流れて湯浅湾に入るため逆川と呼ばれます。
弘法の井戸。
方津戸峠にある説明板。
このあたりは全部舗装道ですが、中にはこういう道もあります。
湯浅スポーツセンターの奥にある「一里松」跡。
ユニークなお風呂屋さん。
湯浅の町の中、古いですねぇ。
この薬局は、開店してるのかな。
「すぐ(まっすぐの意)熊野道」「きみゐでら」裏には「いせかううや(伊勢高野)道」
と書かれた道標。
堀田茶屋跡の立石茶屋。
湯浅駅前近くで、終了です。
湯浅駅。
(湯浅)→
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