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今井寺内町 奈良 [日本あちこち]

富田林から東高野街道を日帰りで歩こうと思いましたが、ちょっと寄り道して、奈良の
今井へ泊まりに行くことにしました。富田林から、車で東へ30分ぐらいです。
富田林も寺内町ですが、今井もそうです。しかもたぶん日本一、寺内町の様子を残して
いる町でしょう。

まず「今井まちなみ交流センター華甍」で、下調べ。1903年建築、町役場だったそう
です。
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音村家と豊田家の模型。
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今井は商家ばかりの町ですが、今の商社のような仕事が多く、どこかのお城を建てると
いうと、材木を木曽から買い付け、人足を手配し、その手数料で商売をしていました。
それで「大和の金は今井に七分」と言われるほど、隆盛を極めました。
そのためよそ者に対する警戒心は強く、届け出がないと、今井に宿泊することはできま
せんでした。

今井の模型。
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江戸時代に戻ったような町並です。
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高木家、山尾家。山尾家は、かなり傷んでいます。
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河合家は造り酒屋。
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お酒を買って帰りました。
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無料公開の旧米谷家住宅。
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蔵の前にある主人の座敷。
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模型があった音村家、吉村家(旧上田家)。
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上田家、中橋家。 
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これも模型があった豊田家。今井で2番目に大きいお屋敷です。
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豊田家模型と豊田家の紋。材木商なので、「木」の字がマーク。
紙半豊田記念館にある、立派なカイヅカイブキ。
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本豊田家。
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今西家住宅を拝見するには、予約が必要です。表から見ると、お城です。
今西家はもともと武士で、今井を守るために出入口に居を構え、改宗して真宗となりま
した。信長の攻撃を防ぎながら1年籠城しても根を上げなかった今井の人々は、許され
て自治権を得ます。
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こちら側から見ると、商家風。今井の町に馴染むように造られています。
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もともと川井家だったのが、今井の西口にあるからということで、今西姓を郡山城主か
らいただいたそうです。川井の名残のマーク。
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屋敷に入ると土間になっていて、ここは罪人を裁くお白洲でした。
奥の一段も二段も高い所が、当主の座敷。
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軽犯罪を裁いて罰を与えます。ここは、男性用いぶし牢。煙でいぶして自白させます。
反対側には、女性用も。
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土間から座敷側は完全に戸締まりができるようになっていて、今でいうオートロック。
敷居に鍵がかかります。
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向こうの二本の天井木は古いそうですが、手前は新しいものです。でも阪神大震災の時
に割れました。古いものは、丈夫ですね。
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お庭の通行禁止の印。微妙に置く位置を変えると、行ける方向が変化します。日本人に
しかわからない、独特の美学ですねぇ。なかなかわかる方は少ないと思いますが…。
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今西家の方にご説明いただいて、古い町並を残すためには心意気やプライドが必要だな
ぁ…と感心しました。

今井のマンホール。馬をつないだ「駒つなぎ」です。
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今西家のものは、やはり立派ですね。
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別バージョン。
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復元された環濠です。三重になっていて、ここは右の中環濠と左の内環濠の間。
平野といい、大和郡山といい、大阪南部や奈良には、環濠都市が多いです。
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「今井まちや館」。ここも古い商家を資料館にしています。
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梯子を登った先の屋根裏。
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シャッターになっています。
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北尊坊門跡。こういう門を造って、自衛自治をしていました。
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蘇武井(そぶのい)。聖徳太子以前からある井戸です。
日照が続いても、枯れることがなかったとか。
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