野麦峠 扇屋&野麦峠の館 長野 [日本あちこち]
さて上田からは車に乗って、ちょっと寄り道して野麦峠に向かいました。
諏訪の岡谷と言えば製糸業が盛んでしたが、その担い手は飛騨から来た女工さん
でした。彼女たちは毎年お正月明けの2月になると飛騨から野麦峠を越えて信州
へ行き、劣悪な環境の中で毎日14時間ぐらい働き、親にお金を送金したようです。
雪の峠で命を落とすものもあり、工場で結核で亡くなるものもあり、13才前後の
子供達にとっては過酷な生活でした。その道を逆にたどってみます。
途中、姨捨山のお話が有名な姨捨SAでちょっと休憩。
諏訪の岡谷と言えば製糸業が盛んでしたが、その担い手は飛騨から来た女工さん
でした。彼女たちは毎年お正月明けの2月になると飛騨から野麦峠を越えて信州
へ行き、劣悪な環境の中で毎日14時間ぐらい働き、親にお金を送金したようです。
雪の峠で命を落とすものもあり、工場で結核で亡くなるものもあり、13才前後の
子供達にとっては過酷な生活でした。その道を逆にたどってみます。
途中、姨捨山のお話が有名な姨捨SAでちょっと休憩。
あづみ野 梓川SA&信濃 長野 おいしい居酒屋 [グルメ]
酷暑のお盆休み、中山道歩きに出かけました。予想としては、「信州なんだから京都や
大阪より温度はマシだろう」と思ったのですが、マシではあってもやはり連日35度ぐら
いの気温で、朝晩だけ若干涼しいという状態でした。
まずは前回と同じ、梓川SAでお昼を食べました。大阪から出発すると、大体この周辺で
お昼時になります。
大阪より温度はマシだろう」と思ったのですが、マシではあってもやはり連日35度ぐら
いの気温で、朝晩だけ若干涼しいという状態でした。
まずは前回と同じ、梓川SAでお昼を食べました。大阪から出発すると、大体この周辺で
お昼時になります。